ー手子后神社についてー

【御祭神】

 

はにやすひめみこと

埴安姫命

(別名:埴山姫命)

 

御祭神埴安姫命は土を司る神として、土壌を生命とする農民の五穀豊穣の守護神として尊崇が篤い。それ故に土を瓦として焼くことは土壌の生命を断つことで、神の怒りを買うと言われ圷では瓦を焼くことは勿論、屋根にのせる家がなかった。昔この神社の屋根に土瓦をのせた事があったが一晩のうちにくずれ落ちてしまった事があったという言い伝えもある。

 

もう一つの伝説に圷地区内を一回りしてみても、かつては、屋敷内に松の木の植えてある家は一軒もなかった。これは、この神社のわきに大きな松の木があったが、祭神埴安姫命がこの松の葉で眼を突いてお怪我をなされた。この松の大木はたちまち伐られ、それ以来氏子は松を屋敷内へ植えない慣習があった。

【創建及び沿革】

 

 創建

 

平城天皇時代大同二年(807年)

巳丑二月十日

  • 人皇四十八代称徳天皇の勅を奉じて神護。
  • 景雲二年六月二十一日始めて祭る処にして、五十代桓武天皇の朝には、坂上田村麻呂将軍東夷征討の征戦勝祈願ありて軍扇及び冑、鏑矢の奉納あり。
  • 五十六代清和天皇の貞観十七年には、従五位下を授けられし等由緒ある古社なり。
  • 元禄九年正月水戸藩主源義公は、従来「手子木崎神社」と称していた社名を、現在の「手子后神社」と改称した。